囲碁の歴史について、知りたい。
今回はその要望に応えるべく、囲碁の発祥と日本の伝来と普及について記事にしました。
この記事を読んで、昔と今の囲碁の考え方の違いを知ると面白いですよ。
囲碁の発祥
今から四千年以上も昔、中国の聖天子堯帝と舜帝は、囲碁を発明して息子たちに教えたと言われています。
やがて、紀元前六~七世紀頃には、『史記』や『論語』などの文献に、「囲碁」に関する記述が現れます。
当時、囲碁は天文地象の占いや兵法の研究のために用いられることが多く、現在の娯楽のために存在していませんでした。
ゲームとしての囲碁のルールが現在のものに近い形になったのは、紀元前後であっただろうと、言われています。
また、碁盤の大きさは十五路盤や十七路盤が主流で、唐の時代から、今日と同じ十九路盤が本格的に使われるようになりました。
日本への伝来と普及
囲碁は五世紀ごろ、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わり、やがて貴族や僧の間で流行しました。
室町時代に入って、囲碁は一般庶民にも浸透して、町には碁会所ができました。
そして、漢語中心だった囲碁用語も、ほとんどが日本語に置き換わり、「コスミ」、「セキ」などの囲碁の専門用語も誕生しました。
囲碁発祥の言葉
囲碁のゲームから、誕生した言葉を紹介します。
素人・玄人(白人・黒人)
白石を持つ人と黒石を持つ人。
現代では上位者が白石を持ちますが、昔は上位者が黒石を持ちました。
そのため、熟練者や達人のことを玄人(黒人)という意味で使用します。
八百長
明治のはじめ頃、八百屋の長さんという人がいて、相撲の親方と碁をしていたが、いつも接戦の勝負を繰り広げていました。
しかし、ある時、長さんはものすごい打ち手であった事が周囲に知れ渡ってしまい、相手のレベルや状況に応じて負けていました。
このことから八百長という言葉が生まれました。
一目置く
囲碁では実力差がある時、下位の者にハンデとして何個か石を先に置かせてから、対局を始めます。
つまり「一目置く」というのは自分が相手のものより、実力が下であるという謙譲の意味が含まれています。
傍目八目(おかめはちもく)
囲碁を打っている対局者より、傍で見ている人の方が冷静に八目くらい先が読めるという意味です。
まとめ
現在、インターネットの影響で、囲碁プレイヤーは世界規模で、急速に拡大しました。
アマチュアの世界選手権では、毎年50か国近い国が参加し、インターネットの対局サイトでは、プロアマ、国籍関係なく、交流対局を行っています。
今後、囲碁がますます広く普及し、世界のあらゆる人の交流の「きっかけ」になることは間違いないでしょう。